~前書き~
マジック・ザ・ギャザリングを始めてもうすぐ2年半になろうとしている。保持するストレージは10を超え、大学1年の頃から使っているOUTDOORのバッグにはモダン複数個、レガシー、EDH、最近ではパイオニアのデッキが入っており、合計資産価値は2~30万円はするだろう。
MTGという長い歴史を持つカードゲームで、2年半という年月が長いか短いかは置いておいて、紛れもなくこれだけは言える。
私はもう初心者ではない。
これは私の内在する気持ちとは非常に相反するものだが、受け入れるべき事実である。
世間的に見れば2年半という期間は中高生が部活動に打ち込む期間とほぼ同じであり、これまでMTGに費やしてきた費用は、間違いなく大人が本気で楽しむ趣味として通用するレベルである。
そう、私は間違いなく世間的に見て、初心者から別の何かにクラスチェンジしたのだ。ある日突然、なんて事は学生ではないので自然と、緩やかに初心者の域から抜けて行ったのだろう。気がつけば他のTCGにも手を出し、すっかりカードゲームは私の日常になじんでいる。
~本題~
先日、YouTubeの動画にて、某カードゲーム会社社長が、自身の経営する店舗にて起こった、痛ましい一件について言及した。
互いに面識はないが、同郷の普段おちゃらけている様に見える、何ならmtg.wiki見ると相当なことやらかしちゃってる様にも見える大先輩(後日、自身のチャンネルで説明が入りましたね)が、いつになく真面目に、真摯に語るその姿勢に、私は無駄に親近感を覚えた。言い方は悪いがこの人もかっぺなんだなと思った。こう、都会に染まってないんだなーと思った。
ヤフーニュースにも挙がったくらいだ。今更動画の内容については語るまい。彼が模範解答と解説を提示している。
そしてもう一つ、私がmtgを始めたのはカラデシュ発売後、正確に言えばコピーキャットやティムール霊気池が禁止された、所謂ティムールエネルギー全盛の時代である。私が通っていたお店に、丁度今の私と同じくらいのmtg歴の方がいて、良くも悪くもいじられ、叱咤激励されていた。体格も大きく、非常に大柄な方(大柄な私から見ても大柄)だった。なにより、私の住む街から県をまたいで(実家がそちらにあるとのこと)きて尚皆から愛されるその人は、このコミュニティが好きなんだろうと思った。私が始めてからだが大きなイベントで記事にもなるくらいの成績を残した当時の彼と、同じラインに立ったときに、私は成績こそ何も残してはいないが、1カードゲーマーとして成長したのだろうか。
そう、本題は、初心者ではなくなった私のこれからについてだ。これからについて考える上で、自分のこれまでを回顧する必要がある。
~回顧その1、私がマジックを始めるまで~
私がmtgを始めようと思ったのは(正確に言うと復帰である。小学生の時、兄弟に付き合わされ、マスクス~インベイジョンブロックで、少ないおこづかいでカードを買って楽しく遊んでいた。ルールの難しさに2、3回泣いた)、実は大学生のころからニコニコ動画でゆかり・ザ・ギャザリングを見ていたからだ。大学時代から始めようと思ったことはあるのだが、いかんせん私の在学していた地域では販売店を見つけることができなかった。
その上、私はもう一つの趣味としてギターを弾いており、そちらの方が当時は何倍も楽しかった。友達とコピーバンドやオリジナル曲を作り演奏して、そんな日々を大学時代は送った。
卒業して実家に戻ってきてからも、バンド活動に明け暮れた。しかし、コミュニティというものは非常に脆いものである、様々な事情で私はバンド活動を控えることを余儀なくされた(今でも私の在籍していたバンドを知っている方は多いが、それはボーカルが鳥取まで駆け落ちしたのち、一人で帰ってきて活動を半年間継続したからだ)
趣味が実質的になくなった私は、新たな趣味を模索した、体を動かすのは疲れるし、お金のかからない趣味が良かった。そこで偶々ニコニコ動画で件のゆかり・ザ・ギャザリングを見て、(カードゲームならそこまでお金かからなそうだし、遊び半分でやってみるか)と思って近くのお店を調べて行ってみた。この時点でおかしいと思う諸兄がいることは重々承知の上だが、事実私がトレーディングカードを買うのは、実に小学生の頃流行ったデュエルマスターズぶりであった。
私のカードゲームの知識は小学生で止まっており、大人がやってるカードゲーム=オタクというステレオタイプなイメージだった。いざお店に入ってみると、大柄でとてもオタクとは思えない人(この後今に至るまでめちゃくちゃお世話になってます)がお店のレジにいた。お店にいる人も普通に見える。普通だ、普通だ。有志Seagal氏(めちゃくちゃお世話になってます)すら普通に見えた。面食らった。
そこでウェルカムデッキで遊んでみたり、色々教えて貰いながら、帰りがけに店長さんも戻ってこられたのでPWデッキを2つ買って帰路についた。車中で私はこんなことを思っていた。
(なんかめんどくせぇな、やっぱやめとくか、、、)
私が初めてお店に来た日、色々教えて下さった全ての人に謝罪します。すいませんでした。
今だから当たり前に自分に突っ込みますけど、そりゃ全く知らないところに行って、何の共通項もない初対面の人と話すのは、お前の性格上ストレス溜まるに決まってる。むしろよくやろうと思ったな。
釈明をしますと、私はそれまで、音楽が好き、や楽器ができる、という共通項を持った人間との関わりが殆どで、共通項のない人間との関わり合いをする頻度が極端に少なかった事も相まって、どっと疲れてそんなことを思っていました。本当にごめんなさい。
話は戻りますが、初めてのカードショップからの帰り道、おなかもすいたのでサイゼ○ヤにより、ついでにPWデッキに入ってるパックを開けてみることにしました。自宅でカードのパックを開けるのは私はその段階ではまだ恥ずかしかった。
十数年ぶりにMTGのパックを開けたその時、私はまたもや面食らった。トークンと基本土地が入っている。凄いことだと思った(旧枠のパックしか開けたことのなかった私は、基本セット以外で基本土地が、ましてやトークンカードが入ってるなんて夢にも思わなかった)。
そしてもう一つ驚いたことがある。変なカードが出たのだ。どうやらトークンではないらしい、裏面はちゃんとMTGのカードなのだ。しかし明らかにおかしい。変な文字で書かれているし、他のカードと毛色が明らかに違うのだ。これがなんなのか知りたいが為に、私は明日もお店に行くことにした。そういえば明日は大会が開かれるらしい。ついでに思いで作りにでも出てみよう。
翌日、件のカードとPWデッキをちょこちょこいじって作ったぐらいの紙束を持って、私はお店に行った。店長に件のカードを見せると、「おめでとうございます」と言われた。ついでにベレー帽みたいな帽子かぶっているおじさん、もとい今の私の上司からも「おめでとうございます」って言われた。いやだからこの変なカードはなんなんだよ。。。
~回顧その2、初めて勝てるようになるまで~
どうやらこの変なカードはマスターピースと言うものらしく、かなりの低確率でパックから出てくるものだった。
そんなものだったのかと思いつつ、最後に記念に大会でてみて終わろうと思っていた。結果は聞かなくても分かるだろう。私のプロフェシー目線から見る現代のカードパワーの高さは常軌を逸しており、それに加えて環境も何も知らない私は、良いようにサンドバッグにされた。とりあえず最終節までやってみて案の定Byeを貰い、帰ろうとしたときに「ドラフトやってみない?」とベレー帽おじさんに言われた、どうやらベレー帽おじさんは帰るからその代打ちの頼んできたみたいだ。一通りドラフトとは何かを聞き、思い出作り位の気持ちでやってみた。
めっちゃ良いレア出た。(取り切りにしなかったことをこれほど悔やんだ日はないと思う)しかし結果は惨敗。どうやらカードゲームにはカードゲームの必要なスキルがあるらしい。当然だ。どんなことにも必要なスキルは存在するし、現に自分だって(カードゲーム以外のところで)スキルを磨いてきたのだから負けたことも当然だと思った。
次の週はPPTQという所謂全国大会地方予選らしく、出ることはおすすめされなかった。出る気もなかった。
駐車場までの短い通路で、フェス帰りみたいな格好をするお兄さん(この後今に至るまでめちゃくちゃお世話になってます)が嬉しそうに話されていた。あー、こんな人もマジックするんだー、と自分のこれまでの世間の狭さを反省しつつ、この二日間なんだかんだ凄い楽しかったなーと、自分も充足感に満たされた。来週は見てるだけかもしれないけどまた来たいななんて思い始めていた。ついでにいつの間にかドラフトのライングループに入れられていた。
翌週、なんだかんだお店に来た私は、最初は見学だけと思っていたのだが、結局変な気を起こしてPPTQに参戦した(以前の日記を読んで頂ければ分かるが、前述したとおりこの大会は全国大会地方予選と言い換えても差し支えのない、競技としての側面が非常に強く、当時超がつく初心者の私が出るべき大会ではない、というかお店の店長さんは、私がこれに出ると言ったときに、あまりのハードルの高さに辞めてしまうのではないかと危惧をしたそうだ。私自身も初心者には絶対にこんな経歴の増やし方はお勧めはしないと心に誓っている)。
結果など目に見えていた。それ以上聞くな。ウェルカムデッキとPWデッキを頑張って組み合わせ、お店のストレージからそれっぽくカードを加えて作った、当時少し結果を残した白黒ゾンビの超廉価版がMO5-0リストそのままのティムールエネルギーや黒緑昂揚に勝てるはずはなかったのだ。
この日は流石に色々堪えたし疲れた。しかし無性に悔しかったのか、休みの日があれば狂ったようにお店に行き、カードを買ったりフリープレイを店長さん(お世話になってます)や初日にレジにいたお兄さん、その他にも様々な方々とさせて頂いた。私のあだ名、もといツイッターやこの日記のハンドルネームはレジにいたお兄さんにつけて頂いたものだ。非常にキャッチーで私自身は気に入っている。イントネーションだけは気をつけている。
その後白黒ゾンビで頑張るも全く勝てず、一度Seagal氏が使われてめっちゃ強い!ってなってアリストクラッツを作るも上手くいかず、破滅の刻が出た後も中々勝てない日々が続いた。カードゲームの、あいうえお、位は覚えてきた。そんな中、私の中に一つの結論が出る。
土地が弱いからテンポで勝てないんだ、単色なら困らない。
破滅の刻発売後隆盛したのは、現代にまで続く第X次赤単の系譜、その最初期のものだ。そんなものは作れるはずがない。ボーマットの急使や損魂魔道士、ましてや反逆の先導者、チャンドラなど持ってない。ついでに言うならPWデッキ以外の、PWはサムトしか持ってなかった。黒単ゾンビも当時作るとなると(当時の私としては)ものすごい額になるし途方に暮れるなか、ネットで一つデッキリストを見つける
【白単ライフゲイン馬】←後の私が作り出す数々の不快デッキの権化
単色で、安く組めて、強そう。正に渡りに舟だった。お店のストレージからカードを集め、リスト通りとはいかなかったが、かなり近いものが作れた。そして大会に出た。
勝てた、というか【勝ち】という実感がものすごい沸いてきた。このデッキで私はお店のコミュニティの輪に少し入れたというか、そんな気持ちになれたのだ。既にカードゲームに触れて2ヶ月近く経っていた。だからこそ、少しでも輪に入れたと言う実感は私にとって凄い嬉しいことであった。
ちなみに、この【白単ライフゲイン馬】を作るために、実に1万円近いお金を払い、スレイベンの検査官をあと一ヶ月半でスタン落ちするパックからなんとか引き当てていた。私のパック剥き癖はこの頃から今なお健在である。お店にないものや少し高いものは、絶版でないなら剥いて出すがアド。シングルがないならパックを剥けば良いじゃない、という思考回路だけは、今後の貯蓄を視野に入れると最近修正せねばと思う日々だ。
一ヶ月半というのはあっという間であったが、その間に私はこのデッキを回すのが楽しくて楽しくて何回も大会に出て回した。しかし、私の中では一つ、どうしようもない事が出てきた。
私はスタンダードしかできない。
私が足繁く通っていたお店では、スタンダードのイベントはコンスタントに行われていたのだが、それと同等以上に下環境、特にモダンに力を入れており、お店に通われる常連さんや私が今現在までお世話になっている多数の方々もモダンを中心にMTGを遊ばれていた。
当時の私がよく言われていたのが「フルちんはまだスタンダードしかできないからなー」という類の言葉であった。当時は一番歴の浅いプレイヤーであったためある程度諦めもあったのだが、田舎のヤンキー的な要素を若干持っている私は悔しかった。
とはいえ、今私の手元にあるのは、復帰してから購入してきたスタンダードのカードプールと子どもの頃遊んでいたわずかなレガシーリーガルのカード(見返すとどれもリミテッド用のカードばかりであった。)。モダンという未知の領域に足を踏み入れるかどうか、それは私にとっての大きな分岐点だったのかもしれない。
~回顧その3、モダン参入と8rackという沼~
結論から先に言えば私はmtg復帰から約二ヶ月程度でモダンへ参入する。しかも選んだアーキタイプは【メガハンデス】。他の地域の人がどうなのかは分からないので何とも言えないが、少なくとも私の通っていたお店で【なんとなくでスタンダードから始めた人間】が二ヶ月でモダンへ参入するのは非常に稀有なことであった。
参入するに当たって、私は以下のことを必死に調べた。
・値段が安い
・簡単に回せる
・拡張性がある
・楽しそう
・初心者向け
この五点からデッキを調べていたのだが、まず、フェッチランドという大きな壁を超えないことを優先した。ヤツが入るだけでデッキの値段が跳ね上がるからだ。その分、多少高いカードでも、鍵となる呪文は良いものを使おうと心に決めていた。
次に簡単に回せること、これは私が始めたての時に痛感したことだが、分からないものは対応しようがないということだ。新しいフォーマットに行くに当たって、自分のゆかり・ザ・ギャザリングだけのモダン知識だけではどうしてもカバーしきれない。そうなったときに選択肢は二つだった。
①、相手より早く動いて決める。所謂高速コンボ
②、相手の動きを徹底的に妨害して勝つ。どうするかは知らない。
①の高速コンボは鍵となるパーツが高すぎた。グリセルブランドやエムラクール、御霊の復讐なんかはとてもじゃないが手が伸ばせないし、トロンもカーン等のフィニッシャーが高すぎる。必然的に②になった。
②とは言っても上記で分かるとおり、当時の私は(カード1枚に一万円札は出せない)という金銭感覚だ。青白コンやポンザも選択肢にはあったが、フェッチランドの壁を超えられない。
そんな中で見つけたあるコラムから、私は8rackを見つけ、所謂「矢木に電流走る」状態になる。
そうか、手札から捨てさせれば問題ないんだ。
手札になければ基本的に使えないし、使わせなければ相手が上手かろうが下手だろうが関係ない。なにより、全く知らないフォーマットで、自分のデッキを回していれば、相手のデッキから情報を得られる。そんな短絡的な発想ではあるが、カードゲームの確信に近い何かを感じて私は8rackのパーツを購入することにした。ここで私は敢えて通っていたお店のストレージから探すのではなく、冒頭の某カードゲームショップに注文した。理由は簡単で、みんなをびっくりさせたかったからだ。とてつもなく割高になった事だけは忘れずに書いておく。
そうして出来上がった8rackであるが、当然、以前私が載せたデッキとは大分違うものである。前述したことで察しの付いた方もいらっしゃるかと思うが、当時諭吉で買える女性PWことヴェールのリリアナが入っていないのだ。もちろん購入しなかった理由は一つ、高いからだ。ヴェールのリリアナについては、私はこのデッキの拡張性の意味も込めて買わなかったのだと勝手に理由付けをしていた。
そうして組み上げた、今度は始めたばかりの頃とは違う、デッキリストを見ながら作ったモダンのデッキをお店に持っていって、回すタイミングを伺った。申し訳ないが、まだ顔見知り程度にしか知らない人も多かったこともあり、相手は極力選んだ。できるだけ楽しくプレイしたかったからだ。記憶が正しければ、フェス帰りっぽいお兄さんに相手をして頂いた。モダンということで、見物に来る人もいた。みんな口々に予想をしていた(緑信心が本命だろう、とみんな言っていた)が、開幕一発目で良い意味で期待を大きく裏切った。負け越したがものすごい楽しかった。
その後緑トロンが出てきてドチャクソにやられた。私がトロンが苦手であり嫌いである理由はまさしくここから来ているだろう。
近々モダンでもPPTQが開かれるということでお店のモダン熱はかなり上がっていた。そして店舗大会に出るとやはりヴェールのリリアナがないことによる脆弱性は露見した。対戦した方、お店で既に8rackを握られていた方からも、やはりこのデッキを握る上でヴェールのリリアナは必須パーツであることを伝えられた。悩んだ。かなり悩んだ。焦らなくてもいい。周りからもそういった声を頂いていた。みんな始めたばかりはそんなものだと。スタンの購入費用を減らしたりして地道に1枚ずつ買っていこうと思っていた。
ある日お店のホームページを見ると3枚入荷されていた。
気がつくと3枚とも購入していた。言うな、何も言うでない。ここら辺から私の金銭感覚はおかしくなったのだ。何も言うな。笑いたいときは大いに笑うがいい。
ちなみにお店で3枚手に入れた日にもう1枚入荷したと言われ、即購入した。一夜にして8rackの拡張性はほぼ失われた。言語もエキスパンションも違うヴェールのリリアナだが、統一しようという気はない。これは今や私の思い出の4枚であるからだ。
そうして参入したモダン。直近のPPTQにも参戦した(結果はボロ負け)。負けの方がかさんだが、そんなことよりもみんなと遊べることが増えたのが楽しかった。楽しかったが、ブン回って勝ったときに、相手に「そのデッキも楽しそうですよね」と悪気は無かったのだが言ってしまい、「こんなデッキつまんねーよ」とブチ切れられたので、勝ったときは相手から何も言われなければ、何も言わないと心に誓った。
そうこうしている内に夏が終わり、イクサラン発売、スタンダードはローテーションを迎え、白黒(アブザン)トークンを回した後、殺戮の暴君をフィニッシャーに据えた緑白ミッドレンジを自作してそれなりの成績(初のショーダウン1位も経験)を納めた。モダンは8rackを使い負け越しではあったが、まさかのミラーマッチや多数の分からん殺しを経験した。
~回顧その4、EDHとマスター・フルチン・コントロール~
人というのは欲が出るものである。九月を過ぎ、私の手元にはスタンダードのデッキの他にモダンの愛機8rackがある。しかしここで充足感に浸れなかった私はある暴挙に出る。
もう一つモダンのデッキを作る。
スタンダードのローテーションにより失った白単ライフゲイン馬。私はこのデッキの動きが大好きだった。なにより、モダンでもクリーチャーで殴りたいという欲が出たのだ。変わり谷では満足できなかった。
最早何も語るまい。作るのは一つ、ソウルシスターズだ。白単色で組め、何よりメインボードは専用の構築のためひたすらに安い。お店のストレージからカードを漁り、瞬く間に作り上げた。ヴェールのリリアナ1枚分でデッキが作れるなら安いものとあっという間に出来上がった。皆からは「時代的に遅れていて弱いし合っていない」という辛辣な意見も合った。戦績自体も芳しくはなかったが、後にこのデッキが不快の権化となるとは、デッキビルディングした私ですら知らなかった。
丁度この頃アイコニックマスターズが発売され、オーリオックのチャンピオンが再録された事もあり値段が下落していた。私は3ボックス近く開けて1枚しか当てられなかったため2枚は自費で購入した。
アイコニックマスターズ3ボックス分購入は同時に強力な伝説のクリーチャーも私にもらたらした。
大修道士、エリシュ・ノーンである。ノーン
スタンダードショーダウンのあとお店のテーブルで3,4人集まって行われる謎の集会。それをEDHと呼ぶことは知っていたが怖くて近寄れなかった。しかし、モダンも経験した私はそこにいる、仲良くなった人たち(今もお世話になっている面々)が楽しそうにしている輪に入れないのは、すこしもどかしかった。
アイコニックマスターズで出てきたノーンのフォイル、リアニメイトを持っていない私にとって無用の長物ではあるのだが、何もさせないのは惜しい、ということでEDHのルーリングをなんとなく理解して作って持ち込んだ。なぜかみんなモダン以上に優しく接してくれた。今になると理由は分かるが当時としてはありがたかった。
しかし、日取りが悪かった。イベントに出た日、最初に当たった卓で1ターン目反逆の先導者、チャンドラが出て、何も出来ずに負けた。恐ろしい環境と戦慄した。
その後の卓やフリプでやんややんやできて楽しいフォーマットだと思ったので、続けてみようと思ったのだが、未だにストレージから不要なカードと必要なカードの振り分けがものすごく難しくなった。流石に親から「いらないのはリサイクルショップに売ってきなさい」の言葉が飛んだ。定期的に時間をかけて振り分け、本当にリミテッド用のカードはストレージにまとめて売るようにしている。
この頃から私のmtgライフは加速度的に忙しくなる、スタンダードのメタを見ながら微調整しつつ、モダンを必死に遊び、EDHのイロハを習うという、充実したプライベートタイムである。もはや休日はほぼ全てお店に顔を出している。常連さんになっていたのである。すっかり色んな方に顔を覚えて頂き、仲良くなった人も増えた。
そして年末、お店で毎年やっているという少し大きな大会(日取りにあやかって天皇杯と銘打ってありました)に8rackででて、20名近くの参加者の中からなんとかtop8入りを果たすことができた。単純に結果を出せたことが嬉しかった。
その後、常連さんたちで開催される忘年会にも出席させて頂き、私は剥いたジャガイモという新たな二つ名を手に入れて年を越した。
年明け、私は友人に誘われ、別な地域にあるカードショップに初めて出かけた(今現在の最寄りのカードショップである)。そこで冬のボーナスを使い白単色だった、ソウルシスターズをノリンシスターズにマイナーチェンジする。ここで初めて、私はフェッチランドを購入した(赤黒のフェッチランド1枚だけはリサイクルショップにあったタルキール覇王譚から当てていた。)。
そして、イクサランの相克が発売される。ソウルシスターズも8rackも、入るカードはないので、私にとっては概ねスタンダードの変遷になるのだが、ここで私のデッキビルディングがとち狂ってきたことが判明する。
当時のスタンダードは二強であった赤単とティムールエネルギーがどちらも弱体化を受け、群雄割拠してきた。グリクシスや赤黒がメインの立ち位置になってきた頃だろう。弱体化をしたとは言え、赤単も健在だった。
そんな中私が目をつけたのは【アゾール】だった。スフィンクスの掲示というカードがどれだけ強かったかは知らないが、アゾールの攻撃時誘発能力は強そうに見えた。ついでに言うとばかでかいマナで打ってみたかった。
そこで作り上げようとしたのがその名前を冠する【アゾールの門口】を採用したデッキだった。この時期になるとある程度カードの傾向によってどんなデッキになるか、予想は付いた。間違いなくコントロールだ。相手を徹底的に封じて、アゾールで殴って勝つ、そんな古典的なコントロールを目指した。奔流の機会巨人なんて持ってなかったが作りたかった。パーミッションは苦手なのでクリーチャー除去を沢山積んだ。
、、、結果的に出来上がったのは、まごう事なきコントロールなのだが、何なのだろう。思ってたんと違う。違うけどものすごい強そうだ。お店に持ち込んだ。初めて持ち込んだときは一勝二敗。芳しくはないが全て1ゲームは取れているので可能性を感じた。
スタンダードでフィニッシャー以外呪文のデッキは初めてだったので「フルちんのコントロール。略してチンコン」と名付けた。店長がマスター・フルチン・コントロールと英名をつけてくれた。対峙した相手がことごとく苦い顔をするこのデッキは、今現在に至るまでに作り出してきた数多のデッキの中で最高傑作と言うに相応しいと自負している。自負しているからこそ、相手にデッキ構築で不快と思われても何とも思わなくなった。
ちなみに、なぜ【白単ライフゲイン馬】が不快の権化なのか、なぜこのチンコンが権化ではないのか、というと、一重に【領事の権限】というカードに尽きる。このカードを始めて採用したのが【白単ライフゲイン馬】であるため不快の権化は馬なのである。
ともあれイクサラン~ドミナリア発売までの間はこの不快の塊チンコンでお店のスタンダードを回しに来た面々を戦々恐々とさせたようだった。最終的にトリッキーな形のエスパー副陽として初の県外遠征に持ち込むまでに至った(結果は振るわなかったが良い経験となった)。
~回顧その5、唐突な出来事~
申し訳ないがここから先の記憶が私はかなり曖昧だ。というのも、私が当時行っていた仕事の方が多忙を極め、何が何だか分からないような状態になっていた。それでもお店に通い続けたのは、もはや鎮痛剤や抗生剤に近い何かを、私にとってそのお店が発していたのだと思う。
曖昧な中でもはっきりしているのが何点かある。
①BMOで、8rackを使用し、勝ち越しに成功。
嬉しかった。自分が初めて組んだモダンで、人生初の大きな大会で、勝ち越すことに成功したのだから。もちろん気の合う知人友人と行けたことも幸いしている。
②会社を辞めた
会社を辞めることを上司に伝えたのはBMOから一週間ほど経ったときだった。肉体的にも精神的にも限界だったが、最後にやれることだけはすべてやってきたので後悔も何もない。
③レガシーのデッキを作った。
即時即購入がほぼ代名詞の私なのだが、こればっかりは流石に1~2ヶ月かかった。半年かけて集める気でいたのがいつの間にか集まったので流石に皆から詐欺扱いはされた。
作ったのはデス&タックス。使うほどになぜ強いのか、如何様に強いのかが分かり、未だに勉強中のデッキでもある。
④入院した
凄い偏見を込めた言い方をすると、ケツの穴が二つになって片方から変な汁が垂れ流しになり、その汁が流しきれなくなって腫瘍として溜まる病気を発症し、私は尾てい骨の上部を切り口2㎝、深さ5㎝ほど切開する手術を行った。
入院中可愛い看護師に裸体を見られたり、患部が患部のためケツ毛を電動シェーバーで刈り取られたり(もちろん女性看護師、しかも3人がかり)とそれなりに楽しく入院した。途中EDHを一緒に遊ぶみなさんがお見舞いに来てくれて、あまりに楽しかったため、少し周りから顰蹙をかいそうであった。
⑤ノリンシスターズが魔改造シスターズになった。
アジャニの群れ仲間もセラの高位僧も入ってない、本当にパーフォロスで勝ちに行くデッキに仕上がっていた。オーリオックのチャンピオンが4枚積まれるこのデッキに、赤黒系デッキやアグロデッキを握る方々が「おもしろくない」と口々に漏らされた。親和が総攻撃してもライフが30残る、不快デッキここに極まれり。
⑥EDHのデッキが増えた
クレンコ、アスマディの二つが新たに仲間に加わった。クレンコはほぼがちな構成、アスマディはEDHやったことない人とでもワイワイできるように作ってある。複数名での対戦は楽しいのだが、実は船引組が作り上げたお店独特の雰囲気でのEDHというのを知るのはもう少し後である。
⑦再就職先が見つかった
こんな具合で会社辞めた後も遊びほうけていられたのは一重に、今の上司とのコネクションによるところが大きい。そこだけは感謝したい。今の上司はスタンダード専門の方なのでこれからスタンダードとは一生おさらば出来ないのだろうとすっかり下環境へ興味津々の私はここからかかるランニングコストに一抹の不安を抱いていた。
そうしている内に10月、新生活も始まり、スタンダードもラヴニカのギルドが発売され大盛り上がり、この次元の人気の高さを生で感じられたことをありがたく思っていた。初めての給料が入ったその日、店長からあることを伝えられる。
お店を閉店する。
私も一社会人だ。個人経営の、しかも世間的にニッチな需要のお店が、地方で毎年利益を上げて経営していくことがどれだけ難しいか、分からないわけではない。前職を辞めてから平日も店に通い続けたから、その客足を見て不安は既にあった。しかし、いつか必ず来る問題を、今日ではないだろうと心のどこか片隅に追いやり、忘れていった。それを忘れさせてくれた店長さんとこのお店の雰囲気が、どれだけこの私の一年半を救ってくれただろう。伝えられた瞬間に様々なことが頭をよぎった。
ただ、店長さんのこれからを考えたら、綱渡りな生活を私たちの娯楽のために継続させる、エゴの押し付けを嘆願するより、店長さんの新しい門出をどうやったら後押し出来るだろうかと考えていた。ひとまずラヴニカのギルドを1BOX買った。恐ろしいレアの当たり具合だった。
それから閉店までの間、私は極力お店に足を運んだ。割高な商品、欲しかった商品を、ここぞとばかりに手の届く範囲で購入した。お店に残っていたタルキール覇王譚も1BOX剥いてみた。フェッチは二枚しかでなかった。
そうして、お店は閉店した。最終日に押し寄せた大量の常連さん、元常連さん、親交のある方々が、店長さんの人望を表していた。
こうして私は行きつけのカードショップを失った。親交のある方々と、今後について話し合って、定期的に交流会と銘打って、公共施設などを利用して定期的に集まるように約束をした。
私にとってこの一年半という期間は非常に大きな意味を持ち、価値のある期間であったことは紛れもない事実だ。お店の名前は誰がどんな意味でつけたか分からないが、たとえ造語であっても、意訳が飛躍しすぎていたとしても私の中では
Orb less Orb(もっとも価値のある宝物)
だろう。
~回顧その6、それから~
つい先日同僚に勤続一周年を口頭で祝って頂いた。もう一年経つのかと感慨に浸りながら、私が一年勤めたと言うことは、お店が閉店してから一年になるということだ。
他人と紙でmtgをする機会は極端に減ったが、それでも定期的に開催される交流会や、車で小一時間ほど走って今現在の最寄りのカードショップに行くことを楽しみにして毎日を過ごしている。しかし驚くべき事はそれだけではない。
①モダンのデッキが増える。
レガシー用に作ったデス&タックスをモダンでもパーツを流用して入れ替えられるようにした。最寄りのカードショップでの戦績はこれが一番良い。さらに禁止改訂を食らってしまったため解体したが赤単リビングエンド、そして現在は緑信心(起源の波が入っているため、緑単デュアルオーロラウェーブと名付けている)と、実に3種類(解体したため今は2種)のデッキに手をつけた。流石にスタンダードは追えない分、モダンへ力を注いできている。
②mtgアリーナを始める
スタンダードを追えなくなった分、オンラインゲーム、しかも無課金でも遊べるmtgアリーナを始めた。最近のスタンダードはカードパワーが強くて、プロフェシー、アモンケット勢の私としては驚くばかりだ。紙で揃えようとするととんでもない額になるので、恐らく私の賃金が増えない限り、紙では出来ないだろう。
未だに私のカードゲーム熱は衰えず、むしろ高くなっているとすら感じる。たまに近くのリサイクルショップでパックを買いあさり、部屋に不要なストレージが溜まってきたことが最近の悩みだ。
私の休みは不定休シフト勤務のため、交流会へは行ける日と行けない日とあるが、それでも行ったときに楽しく迎え入れてくれるみなさんには感謝の一言だ。勿論、運営に携わっている方々へも。
来年(正確には再来年)は恐らく仕事の資格試験を受けて給料が大幅に上がるチャンスでもある。本気で取りかかるつもりだ。私の貯蓄のためにも。
私がここまででmtgに費やしてきた費用は恐らく200万じゃ利かなくなってきただろう。私の預金残高がそれを証明している。しかし、後悔はない。こんなにも多くの、かけがえのないものとなったのだから。
~本題に戻ろう~
書いていたら楽しくなって、回顧で全てが終わろうとしていたが本題は違う。もう一度本題を思い起こすと、
【私はTCGプレイヤーとして成長したのか】
という問いかけだったはずだ。この回顧から何も得られていないことは重々承知しているが、私はひじき3本重ねた位は成長できたのかなと思っている。
もちろん、メタを知ったから、カードの意味を逐一確認しなくなったから、といった、カードゲームをやっていけばある程度自動で学習されていくものではなく、プレイヤースキルとして、ひじき3本重ねた分くらいは成長した気がする。
ひじき一本目:初対面の人とでも失礼なく出来るようになった。
これはお店や最寄りのカードショップで初見の人と対戦経験を積んできたからだろう。誰しもが最初は初対面だし、初めての対戦になる。見た目が決して良くない私にとって、相手に失礼なくすることは必要最低限のマナーだと思っている。むしろ二回目、三回目と回数を重ねるごとに悪くなっている事があるので、そこは気をつけなくてはならない。相手のプライベートなラインに自分は入り込めているのかは分からないからだ。戒めの意味も込めて私は以前のマナー関連の日記を書いている。
ひじき二本目:プレイスピードが上がった。
やってるだけで速くなるわけではない。それはこの二年半で大いに分かったことだ。考えながらプレイしていかないとプレイスピードが上がることはない。思考停止してでも勝てるブン回りが毎回来るわけではないのだ。これはmtgに限った話だが、競技としてmtgを行う場合でも進行に影響なくプレイできるくらいには、プレイスピードが上がった。魔改造シスターズだけは誘発の発生が多すぎて遅延行為を食らいそうではある。
ひじき三本目:読みが、ほんのごくわずかだが出来るようになった。
相手のプレイングを見て、相手の手札がなんなのか予測して動く。デス&タックスを一年半使いながら、これが出来ないと1本も勝つことが出来ないと毎回毎回泣きを見ながら対戦経験を積んでいった。多くの当たり外れを経験してきた。そのお陰か、最寄りのカードショップでのレガシー戦績は勝ち越しを記録しているし、レンと六番禁止前のRUGデルバー相手に勝利を収める事も出来た。少しずつではあるが、自信に繋がっている。
デス&タックス以外でも、相手の動きを見て予測してこちらが動く、という挙動は相手にとってプレッシャーであるはずだ。今後は他のデッキでも同じように読み、というものが少しずつ出来るようになっていかねばならない。
今後も課題は山積みである。ガバガバなプレイやケアを怠ることは多々あるし、ボードコンの握りすぎでコンバットスキルはまるで成長していない。そして自分で言うのも難だが、引きは弱くはない、むしろ強い方だ。トップで万事解決なんて事も他の人より多少は経験しているだろうし、それこそ私が休みの時不定期に行う我が家杯(モダンデッキ4種による総当たり戦を1人で行う謎企画。一人回しの延長線ではあるのだが、ルールとして、互いの手札は呪文や能力の対象になって、公開されたものしか見れていない、という呈でプレイングを進めていく。自分の思考回路を自分で反芻することになる。辛い)ではそのトップ解決力で互いに捲り合う試合が結構発生する。
要するに、まだまだ未熟者なのだ。天井が見えないからこそ、私のカードゲーム熱は治まらないのであろう。
マジック・ザ・ギャザリングを始めてもうすぐ2年半になろうとしている。保持するストレージは10を超え、大学1年の頃から使っているOUTDOORのバッグにはモダン複数個、レガシー、EDH、最近ではパイオニアのデッキが入っており、合計資産価値は2~30万円はするだろう。
MTGという長い歴史を持つカードゲームで、2年半という年月が長いか短いかは置いておいて、紛れもなくこれだけは言える。
私はもう初心者ではない。
これは私の内在する気持ちとは非常に相反するものだが、受け入れるべき事実である。
世間的に見れば2年半という期間は中高生が部活動に打ち込む期間とほぼ同じであり、これまでMTGに費やしてきた費用は、間違いなく大人が本気で楽しむ趣味として通用するレベルである。
そう、私は間違いなく世間的に見て、初心者から別の何かにクラスチェンジしたのだ。ある日突然、なんて事は学生ではないので自然と、緩やかに初心者の域から抜けて行ったのだろう。気がつけば他のTCGにも手を出し、すっかりカードゲームは私の日常になじんでいる。
~本題~
先日、YouTubeの動画にて、某カードゲーム会社社長が、自身の経営する店舗にて起こった、痛ましい一件について言及した。
互いに面識はないが、同郷の普段おちゃらけている様に見える、何ならmtg.wiki見ると相当なことやらかしちゃってる様にも見える大先輩(後日、自身のチャンネルで説明が入りましたね)が、いつになく真面目に、真摯に語るその姿勢に、私は無駄に親近感を覚えた。言い方は悪いがこの人もかっぺなんだなと思った。こう、都会に染まってないんだなーと思った。
ヤフーニュースにも挙がったくらいだ。今更動画の内容については語るまい。彼が模範解答と解説を提示している。
そしてもう一つ、私がmtgを始めたのはカラデシュ発売後、正確に言えばコピーキャットやティムール霊気池が禁止された、所謂ティムールエネルギー全盛の時代である。私が通っていたお店に、丁度今の私と同じくらいのmtg歴の方がいて、良くも悪くもいじられ、叱咤激励されていた。体格も大きく、非常に大柄な方(大柄な私から見ても大柄)だった。なにより、私の住む街から県をまたいで(実家がそちらにあるとのこと)きて尚皆から愛されるその人は、このコミュニティが好きなんだろうと思った。私が始めてからだが大きなイベントで記事にもなるくらいの成績を残した当時の彼と、同じラインに立ったときに、私は成績こそ何も残してはいないが、1カードゲーマーとして成長したのだろうか。
そう、本題は、初心者ではなくなった私のこれからについてだ。これからについて考える上で、自分のこれまでを回顧する必要がある。
~回顧その1、私がマジックを始めるまで~
私がmtgを始めようと思ったのは(正確に言うと復帰である。小学生の時、兄弟に付き合わされ、マスクス~インベイジョンブロックで、少ないおこづかいでカードを買って楽しく遊んでいた。ルールの難しさに2、3回泣いた)、実は大学生のころからニコニコ動画でゆかり・ザ・ギャザリングを見ていたからだ。大学時代から始めようと思ったことはあるのだが、いかんせん私の在学していた地域では販売店を見つけることができなかった。
その上、私はもう一つの趣味としてギターを弾いており、そちらの方が当時は何倍も楽しかった。友達とコピーバンドやオリジナル曲を作り演奏して、そんな日々を大学時代は送った。
卒業して実家に戻ってきてからも、バンド活動に明け暮れた。しかし、コミュニティというものは非常に脆いものである、様々な事情で私はバンド活動を控えることを余儀なくされた(今でも私の在籍していたバンドを知っている方は多いが、それはボーカルが鳥取まで駆け落ちしたのち、一人で帰ってきて活動を半年間継続したからだ)
趣味が実質的になくなった私は、新たな趣味を模索した、体を動かすのは疲れるし、お金のかからない趣味が良かった。そこで偶々ニコニコ動画で件のゆかり・ザ・ギャザリングを見て、(カードゲームならそこまでお金かからなそうだし、遊び半分でやってみるか)と思って近くのお店を調べて行ってみた。この時点でおかしいと思う諸兄がいることは重々承知の上だが、事実私がトレーディングカードを買うのは、実に小学生の頃流行ったデュエルマスターズぶりであった。
私のカードゲームの知識は小学生で止まっており、大人がやってるカードゲーム=オタクというステレオタイプなイメージだった。いざお店に入ってみると、大柄でとてもオタクとは思えない人(この後今に至るまでめちゃくちゃお世話になってます)がお店のレジにいた。お店にいる人も普通に見える。普通だ、普通だ。有志Seagal氏(めちゃくちゃお世話になってます)すら普通に見えた。面食らった。
そこでウェルカムデッキで遊んでみたり、色々教えて貰いながら、帰りがけに店長さんも戻ってこられたのでPWデッキを2つ買って帰路についた。車中で私はこんなことを思っていた。
(なんかめんどくせぇな、やっぱやめとくか、、、)
私が初めてお店に来た日、色々教えて下さった全ての人に謝罪します。すいませんでした。
今だから当たり前に自分に突っ込みますけど、そりゃ全く知らないところに行って、何の共通項もない初対面の人と話すのは、お前の性格上ストレス溜まるに決まってる。むしろよくやろうと思ったな。
釈明をしますと、私はそれまで、音楽が好き、や楽器ができる、という共通項を持った人間との関わりが殆どで、共通項のない人間との関わり合いをする頻度が極端に少なかった事も相まって、どっと疲れてそんなことを思っていました。本当にごめんなさい。
話は戻りますが、初めてのカードショップからの帰り道、おなかもすいたのでサイゼ○ヤにより、ついでにPWデッキに入ってるパックを開けてみることにしました。自宅でカードのパックを開けるのは私はその段階ではまだ恥ずかしかった。
十数年ぶりにMTGのパックを開けたその時、私はまたもや面食らった。トークンと基本土地が入っている。凄いことだと思った(旧枠のパックしか開けたことのなかった私は、基本セット以外で基本土地が、ましてやトークンカードが入ってるなんて夢にも思わなかった)。
そしてもう一つ驚いたことがある。変なカードが出たのだ。どうやらトークンではないらしい、裏面はちゃんとMTGのカードなのだ。しかし明らかにおかしい。変な文字で書かれているし、他のカードと毛色が明らかに違うのだ。これがなんなのか知りたいが為に、私は明日もお店に行くことにした。そういえば明日は大会が開かれるらしい。ついでに思いで作りにでも出てみよう。
翌日、件のカードとPWデッキをちょこちょこいじって作ったぐらいの紙束を持って、私はお店に行った。店長に件のカードを見せると、「おめでとうございます」と言われた。ついでにベレー帽みたいな帽子かぶっているおじさん、もとい今の私の上司からも「おめでとうございます」って言われた。いやだからこの変なカードはなんなんだよ。。。
~回顧その2、初めて勝てるようになるまで~
どうやらこの変なカードはマスターピースと言うものらしく、かなりの低確率でパックから出てくるものだった。
そんなものだったのかと思いつつ、最後に記念に大会でてみて終わろうと思っていた。結果は聞かなくても分かるだろう。私のプロフェシー目線から見る現代のカードパワーの高さは常軌を逸しており、それに加えて環境も何も知らない私は、良いようにサンドバッグにされた。とりあえず最終節までやってみて案の定Byeを貰い、帰ろうとしたときに「ドラフトやってみない?」とベレー帽おじさんに言われた、どうやらベレー帽おじさんは帰るからその代打ちの頼んできたみたいだ。一通りドラフトとは何かを聞き、思い出作り位の気持ちでやってみた。
めっちゃ良いレア出た。(取り切りにしなかったことをこれほど悔やんだ日はないと思う)しかし結果は惨敗。どうやらカードゲームにはカードゲームの必要なスキルがあるらしい。当然だ。どんなことにも必要なスキルは存在するし、現に自分だって(カードゲーム以外のところで)スキルを磨いてきたのだから負けたことも当然だと思った。
次の週はPPTQという所謂全国大会地方予選らしく、出ることはおすすめされなかった。出る気もなかった。
駐車場までの短い通路で、フェス帰りみたいな格好をするお兄さん(この後今に至るまでめちゃくちゃお世話になってます)が嬉しそうに話されていた。あー、こんな人もマジックするんだー、と自分のこれまでの世間の狭さを反省しつつ、この二日間なんだかんだ凄い楽しかったなーと、自分も充足感に満たされた。来週は見てるだけかもしれないけどまた来たいななんて思い始めていた。ついでにいつの間にかドラフトのライングループに入れられていた。
翌週、なんだかんだお店に来た私は、最初は見学だけと思っていたのだが、結局変な気を起こしてPPTQに参戦した(以前の日記を読んで頂ければ分かるが、前述したとおりこの大会は全国大会地方予選と言い換えても差し支えのない、競技としての側面が非常に強く、当時超がつく初心者の私が出るべき大会ではない、というかお店の店長さんは、私がこれに出ると言ったときに、あまりのハードルの高さに辞めてしまうのではないかと危惧をしたそうだ。私自身も初心者には絶対にこんな経歴の増やし方はお勧めはしないと心に誓っている)。
結果など目に見えていた。それ以上聞くな。ウェルカムデッキとPWデッキを頑張って組み合わせ、お店のストレージからそれっぽくカードを加えて作った、当時少し結果を残した白黒ゾンビの超廉価版がMO5-0リストそのままのティムールエネルギーや黒緑昂揚に勝てるはずはなかったのだ。
この日は流石に色々堪えたし疲れた。しかし無性に悔しかったのか、休みの日があれば狂ったようにお店に行き、カードを買ったりフリープレイを店長さん(お世話になってます)や初日にレジにいたお兄さん、その他にも様々な方々とさせて頂いた。私のあだ名、もといツイッターやこの日記のハンドルネームはレジにいたお兄さんにつけて頂いたものだ。非常にキャッチーで私自身は気に入っている。イントネーションだけは気をつけている。
その後白黒ゾンビで頑張るも全く勝てず、一度Seagal氏が使われてめっちゃ強い!ってなってアリストクラッツを作るも上手くいかず、破滅の刻が出た後も中々勝てない日々が続いた。カードゲームの、あいうえお、位は覚えてきた。そんな中、私の中に一つの結論が出る。
土地が弱いからテンポで勝てないんだ、単色なら困らない。
破滅の刻発売後隆盛したのは、現代にまで続く第X次赤単の系譜、その最初期のものだ。そんなものは作れるはずがない。ボーマットの急使や損魂魔道士、ましてや反逆の先導者、チャンドラなど持ってない。ついでに言うならPWデッキ以外の、PWはサムトしか持ってなかった。黒単ゾンビも当時作るとなると(当時の私としては)ものすごい額になるし途方に暮れるなか、ネットで一つデッキリストを見つける
【白単ライフゲイン馬】←後の私が作り出す数々の不快デッキの権化
単色で、安く組めて、強そう。正に渡りに舟だった。お店のストレージからカードを集め、リスト通りとはいかなかったが、かなり近いものが作れた。そして大会に出た。
勝てた、というか【勝ち】という実感がものすごい沸いてきた。このデッキで私はお店のコミュニティの輪に少し入れたというか、そんな気持ちになれたのだ。既にカードゲームに触れて2ヶ月近く経っていた。だからこそ、少しでも輪に入れたと言う実感は私にとって凄い嬉しいことであった。
ちなみに、この【白単ライフゲイン馬】を作るために、実に1万円近いお金を払い、スレイベンの検査官をあと一ヶ月半でスタン落ちするパックからなんとか引き当てていた。私のパック剥き癖はこの頃から今なお健在である。お店にないものや少し高いものは、絶版でないなら剥いて出すがアド。シングルがないならパックを剥けば良いじゃない、という思考回路だけは、今後の貯蓄を視野に入れると最近修正せねばと思う日々だ。
一ヶ月半というのはあっという間であったが、その間に私はこのデッキを回すのが楽しくて楽しくて何回も大会に出て回した。しかし、私の中では一つ、どうしようもない事が出てきた。
私はスタンダードしかできない。
私が足繁く通っていたお店では、スタンダードのイベントはコンスタントに行われていたのだが、それと同等以上に下環境、特にモダンに力を入れており、お店に通われる常連さんや私が今現在までお世話になっている多数の方々もモダンを中心にMTGを遊ばれていた。
当時の私がよく言われていたのが「フルちんはまだスタンダードしかできないからなー」という類の言葉であった。当時は一番歴の浅いプレイヤーであったためある程度諦めもあったのだが、田舎のヤンキー的な要素を若干持っている私は悔しかった。
とはいえ、今私の手元にあるのは、復帰してから購入してきたスタンダードのカードプールと子どもの頃遊んでいたわずかなレガシーリーガルのカード(見返すとどれもリミテッド用のカードばかりであった。)。モダンという未知の領域に足を踏み入れるかどうか、それは私にとっての大きな分岐点だったのかもしれない。
~回顧その3、モダン参入と8rackという沼~
結論から先に言えば私はmtg復帰から約二ヶ月程度でモダンへ参入する。しかも選んだアーキタイプは【メガハンデス】。他の地域の人がどうなのかは分からないので何とも言えないが、少なくとも私の通っていたお店で【なんとなくでスタンダードから始めた人間】が二ヶ月でモダンへ参入するのは非常に稀有なことであった。
参入するに当たって、私は以下のことを必死に調べた。
・値段が安い
・簡単に回せる
・拡張性がある
・楽しそう
・初心者向け
この五点からデッキを調べていたのだが、まず、フェッチランドという大きな壁を超えないことを優先した。ヤツが入るだけでデッキの値段が跳ね上がるからだ。その分、多少高いカードでも、鍵となる呪文は良いものを使おうと心に決めていた。
次に簡単に回せること、これは私が始めたての時に痛感したことだが、分からないものは対応しようがないということだ。新しいフォーマットに行くに当たって、自分のゆかり・ザ・ギャザリングだけのモダン知識だけではどうしてもカバーしきれない。そうなったときに選択肢は二つだった。
①、相手より早く動いて決める。所謂高速コンボ
②、相手の動きを徹底的に妨害して勝つ。どうするかは知らない。
①の高速コンボは鍵となるパーツが高すぎた。グリセルブランドやエムラクール、御霊の復讐なんかはとてもじゃないが手が伸ばせないし、トロンもカーン等のフィニッシャーが高すぎる。必然的に②になった。
②とは言っても上記で分かるとおり、当時の私は(カード1枚に一万円札は出せない)という金銭感覚だ。青白コンやポンザも選択肢にはあったが、フェッチランドの壁を超えられない。
そんな中で見つけたあるコラムから、私は8rackを見つけ、所謂「矢木に電流走る」状態になる。
そうか、手札から捨てさせれば問題ないんだ。
手札になければ基本的に使えないし、使わせなければ相手が上手かろうが下手だろうが関係ない。なにより、全く知らないフォーマットで、自分のデッキを回していれば、相手のデッキから情報を得られる。そんな短絡的な発想ではあるが、カードゲームの確信に近い何かを感じて私は8rackのパーツを購入することにした。ここで私は敢えて通っていたお店のストレージから探すのではなく、冒頭の某カードゲームショップに注文した。理由は簡単で、みんなをびっくりさせたかったからだ。とてつもなく割高になった事だけは忘れずに書いておく。
そうして出来上がった8rackであるが、当然、以前私が載せたデッキとは大分違うものである。前述したことで察しの付いた方もいらっしゃるかと思うが、当時諭吉で買える女性PWことヴェールのリリアナが入っていないのだ。もちろん購入しなかった理由は一つ、高いからだ。ヴェールのリリアナについては、私はこのデッキの拡張性の意味も込めて買わなかったのだと勝手に理由付けをしていた。
そうして組み上げた、今度は始めたばかりの頃とは違う、デッキリストを見ながら作ったモダンのデッキをお店に持っていって、回すタイミングを伺った。申し訳ないが、まだ顔見知り程度にしか知らない人も多かったこともあり、相手は極力選んだ。できるだけ楽しくプレイしたかったからだ。記憶が正しければ、フェス帰りっぽいお兄さんに相手をして頂いた。モダンということで、見物に来る人もいた。みんな口々に予想をしていた(緑信心が本命だろう、とみんな言っていた)が、開幕一発目で良い意味で期待を大きく裏切った。負け越したがものすごい楽しかった。
その後緑トロンが出てきてドチャクソにやられた。私がトロンが苦手であり嫌いである理由はまさしくここから来ているだろう。
近々モダンでもPPTQが開かれるということでお店のモダン熱はかなり上がっていた。そして店舗大会に出るとやはりヴェールのリリアナがないことによる脆弱性は露見した。対戦した方、お店で既に8rackを握られていた方からも、やはりこのデッキを握る上でヴェールのリリアナは必須パーツであることを伝えられた。悩んだ。かなり悩んだ。焦らなくてもいい。周りからもそういった声を頂いていた。みんな始めたばかりはそんなものだと。スタンの購入費用を減らしたりして地道に1枚ずつ買っていこうと思っていた。
ある日お店のホームページを見ると3枚入荷されていた。
気がつくと3枚とも購入していた。言うな、何も言うでない。ここら辺から私の金銭感覚はおかしくなったのだ。何も言うな。笑いたいときは大いに笑うがいい。
ちなみにお店で3枚手に入れた日にもう1枚入荷したと言われ、即購入した。一夜にして8rackの拡張性はほぼ失われた。言語もエキスパンションも違うヴェールのリリアナだが、統一しようという気はない。これは今や私の思い出の4枚であるからだ。
そうして参入したモダン。直近のPPTQにも参戦した(結果はボロ負け)。負けの方がかさんだが、そんなことよりもみんなと遊べることが増えたのが楽しかった。楽しかったが、ブン回って勝ったときに、相手に「そのデッキも楽しそうですよね」と悪気は無かったのだが言ってしまい、「こんなデッキつまんねーよ」とブチ切れられたので、勝ったときは相手から何も言われなければ、何も言わないと心に誓った。
そうこうしている内に夏が終わり、イクサラン発売、スタンダードはローテーションを迎え、白黒(アブザン)トークンを回した後、殺戮の暴君をフィニッシャーに据えた緑白ミッドレンジを自作してそれなりの成績(初のショーダウン1位も経験)を納めた。モダンは8rackを使い負け越しではあったが、まさかのミラーマッチや多数の分からん殺しを経験した。
~回顧その4、EDHとマスター・フルチン・コントロール~
人というのは欲が出るものである。九月を過ぎ、私の手元にはスタンダードのデッキの他にモダンの愛機8rackがある。しかしここで充足感に浸れなかった私はある暴挙に出る。
もう一つモダンのデッキを作る。
スタンダードのローテーションにより失った白単ライフゲイン馬。私はこのデッキの動きが大好きだった。なにより、モダンでもクリーチャーで殴りたいという欲が出たのだ。変わり谷では満足できなかった。
最早何も語るまい。作るのは一つ、ソウルシスターズだ。白単色で組め、何よりメインボードは専用の構築のためひたすらに安い。お店のストレージからカードを漁り、瞬く間に作り上げた。ヴェールのリリアナ1枚分でデッキが作れるなら安いものとあっという間に出来上がった。皆からは「時代的に遅れていて弱いし合っていない」という辛辣な意見も合った。戦績自体も芳しくはなかったが、後にこのデッキが不快の権化となるとは、デッキビルディングした私ですら知らなかった。
丁度この頃アイコニックマスターズが発売され、オーリオックのチャンピオンが再録された事もあり値段が下落していた。私は3ボックス近く開けて1枚しか当てられなかったため2枚は自費で購入した。
アイコニックマスターズ3ボックス分購入は同時に強力な伝説のクリーチャーも私にもらたらした。
大修道士、エリシュ・ノーンである。ノーン
スタンダードショーダウンのあとお店のテーブルで3,4人集まって行われる謎の集会。それをEDHと呼ぶことは知っていたが怖くて近寄れなかった。しかし、モダンも経験した私はそこにいる、仲良くなった人たち(今もお世話になっている面々)が楽しそうにしている輪に入れないのは、すこしもどかしかった。
アイコニックマスターズで出てきたノーンのフォイル、リアニメイトを持っていない私にとって無用の長物ではあるのだが、何もさせないのは惜しい、ということでEDHのルーリングをなんとなく理解して作って持ち込んだ。なぜかみんなモダン以上に優しく接してくれた。今になると理由は分かるが当時としてはありがたかった。
しかし、日取りが悪かった。イベントに出た日、最初に当たった卓で1ターン目反逆の先導者、チャンドラが出て、何も出来ずに負けた。恐ろしい環境と戦慄した。
その後の卓やフリプでやんややんやできて楽しいフォーマットだと思ったので、続けてみようと思ったのだが、未だにストレージから不要なカードと必要なカードの振り分けがものすごく難しくなった。流石に親から「いらないのはリサイクルショップに売ってきなさい」の言葉が飛んだ。定期的に時間をかけて振り分け、本当にリミテッド用のカードはストレージにまとめて売るようにしている。
この頃から私のmtgライフは加速度的に忙しくなる、スタンダードのメタを見ながら微調整しつつ、モダンを必死に遊び、EDHのイロハを習うという、充実したプライベートタイムである。もはや休日はほぼ全てお店に顔を出している。常連さんになっていたのである。すっかり色んな方に顔を覚えて頂き、仲良くなった人も増えた。
そして年末、お店で毎年やっているという少し大きな大会(日取りにあやかって天皇杯と銘打ってありました)に8rackででて、20名近くの参加者の中からなんとかtop8入りを果たすことができた。単純に結果を出せたことが嬉しかった。
その後、常連さんたちで開催される忘年会にも出席させて頂き、私は剥いたジャガイモという新たな二つ名を手に入れて年を越した。
年明け、私は友人に誘われ、別な地域にあるカードショップに初めて出かけた(今現在の最寄りのカードショップである)。そこで冬のボーナスを使い白単色だった、ソウルシスターズをノリンシスターズにマイナーチェンジする。ここで初めて、私はフェッチランドを購入した(赤黒のフェッチランド1枚だけはリサイクルショップにあったタルキール覇王譚から当てていた。)。
そして、イクサランの相克が発売される。ソウルシスターズも8rackも、入るカードはないので、私にとっては概ねスタンダードの変遷になるのだが、ここで私のデッキビルディングがとち狂ってきたことが判明する。
当時のスタンダードは二強であった赤単とティムールエネルギーがどちらも弱体化を受け、群雄割拠してきた。グリクシスや赤黒がメインの立ち位置になってきた頃だろう。弱体化をしたとは言え、赤単も健在だった。
そんな中私が目をつけたのは【アゾール】だった。スフィンクスの掲示というカードがどれだけ強かったかは知らないが、アゾールの攻撃時誘発能力は強そうに見えた。ついでに言うとばかでかいマナで打ってみたかった。
そこで作り上げようとしたのがその名前を冠する【アゾールの門口】を採用したデッキだった。この時期になるとある程度カードの傾向によってどんなデッキになるか、予想は付いた。間違いなくコントロールだ。相手を徹底的に封じて、アゾールで殴って勝つ、そんな古典的なコントロールを目指した。奔流の機会巨人なんて持ってなかったが作りたかった。パーミッションは苦手なのでクリーチャー除去を沢山積んだ。
、、、結果的に出来上がったのは、まごう事なきコントロールなのだが、何なのだろう。思ってたんと違う。違うけどものすごい強そうだ。お店に持ち込んだ。初めて持ち込んだときは一勝二敗。芳しくはないが全て1ゲームは取れているので可能性を感じた。
スタンダードでフィニッシャー以外呪文のデッキは初めてだったので「フルちんのコントロール。略してチンコン」と名付けた。店長がマスター・フルチン・コントロールと英名をつけてくれた。対峙した相手がことごとく苦い顔をするこのデッキは、今現在に至るまでに作り出してきた数多のデッキの中で最高傑作と言うに相応しいと自負している。自負しているからこそ、相手にデッキ構築で不快と思われても何とも思わなくなった。
ちなみに、なぜ【白単ライフゲイン馬】が不快の権化なのか、なぜこのチンコンが権化ではないのか、というと、一重に【領事の権限】というカードに尽きる。このカードを始めて採用したのが【白単ライフゲイン馬】であるため不快の権化は馬なのである。
ともあれイクサラン~ドミナリア発売までの間はこの不快の塊チンコンでお店のスタンダードを回しに来た面々を戦々恐々とさせたようだった。最終的にトリッキーな形のエスパー副陽として初の県外遠征に持ち込むまでに至った(結果は振るわなかったが良い経験となった)。
~回顧その5、唐突な出来事~
申し訳ないがここから先の記憶が私はかなり曖昧だ。というのも、私が当時行っていた仕事の方が多忙を極め、何が何だか分からないような状態になっていた。それでもお店に通い続けたのは、もはや鎮痛剤や抗生剤に近い何かを、私にとってそのお店が発していたのだと思う。
曖昧な中でもはっきりしているのが何点かある。
①BMOで、8rackを使用し、勝ち越しに成功。
嬉しかった。自分が初めて組んだモダンで、人生初の大きな大会で、勝ち越すことに成功したのだから。もちろん気の合う知人友人と行けたことも幸いしている。
②会社を辞めた
会社を辞めることを上司に伝えたのはBMOから一週間ほど経ったときだった。肉体的にも精神的にも限界だったが、最後にやれることだけはすべてやってきたので後悔も何もない。
③レガシーのデッキを作った。
即時即購入がほぼ代名詞の私なのだが、こればっかりは流石に1~2ヶ月かかった。半年かけて集める気でいたのがいつの間にか集まったので流石に皆から詐欺扱いはされた。
作ったのはデス&タックス。使うほどになぜ強いのか、如何様に強いのかが分かり、未だに勉強中のデッキでもある。
④入院した
凄い偏見を込めた言い方をすると、ケツの穴が二つになって片方から変な汁が垂れ流しになり、その汁が流しきれなくなって腫瘍として溜まる病気を発症し、私は尾てい骨の上部を切り口2㎝、深さ5㎝ほど切開する手術を行った。
入院中可愛い看護師に裸体を見られたり、患部が患部のためケツ毛を電動シェーバーで刈り取られたり(もちろん女性看護師、しかも3人がかり)とそれなりに楽しく入院した。途中EDHを一緒に遊ぶみなさんがお見舞いに来てくれて、あまりに楽しかったため、少し周りから顰蹙をかいそうであった。
⑤ノリンシスターズが魔改造シスターズになった。
アジャニの群れ仲間もセラの高位僧も入ってない、本当にパーフォロスで勝ちに行くデッキに仕上がっていた。オーリオックのチャンピオンが4枚積まれるこのデッキに、赤黒系デッキやアグロデッキを握る方々が「おもしろくない」と口々に漏らされた。親和が総攻撃してもライフが30残る、不快デッキここに極まれり。
⑥EDHのデッキが増えた
クレンコ、アスマディの二つが新たに仲間に加わった。クレンコはほぼがちな構成、アスマディはEDHやったことない人とでもワイワイできるように作ってある。複数名での対戦は楽しいのだが、実は船引組が作り上げたお店独特の雰囲気でのEDHというのを知るのはもう少し後である。
⑦再就職先が見つかった
こんな具合で会社辞めた後も遊びほうけていられたのは一重に、今の上司とのコネクションによるところが大きい。そこだけは感謝したい。今の上司はスタンダード専門の方なのでこれからスタンダードとは一生おさらば出来ないのだろうとすっかり下環境へ興味津々の私はここからかかるランニングコストに一抹の不安を抱いていた。
そうしている内に10月、新生活も始まり、スタンダードもラヴニカのギルドが発売され大盛り上がり、この次元の人気の高さを生で感じられたことをありがたく思っていた。初めての給料が入ったその日、店長からあることを伝えられる。
お店を閉店する。
私も一社会人だ。個人経営の、しかも世間的にニッチな需要のお店が、地方で毎年利益を上げて経営していくことがどれだけ難しいか、分からないわけではない。前職を辞めてから平日も店に通い続けたから、その客足を見て不安は既にあった。しかし、いつか必ず来る問題を、今日ではないだろうと心のどこか片隅に追いやり、忘れていった。それを忘れさせてくれた店長さんとこのお店の雰囲気が、どれだけこの私の一年半を救ってくれただろう。伝えられた瞬間に様々なことが頭をよぎった。
ただ、店長さんのこれからを考えたら、綱渡りな生活を私たちの娯楽のために継続させる、エゴの押し付けを嘆願するより、店長さんの新しい門出をどうやったら後押し出来るだろうかと考えていた。ひとまずラヴニカのギルドを1BOX買った。恐ろしいレアの当たり具合だった。
それから閉店までの間、私は極力お店に足を運んだ。割高な商品、欲しかった商品を、ここぞとばかりに手の届く範囲で購入した。お店に残っていたタルキール覇王譚も1BOX剥いてみた。フェッチは二枚しかでなかった。
そうして、お店は閉店した。最終日に押し寄せた大量の常連さん、元常連さん、親交のある方々が、店長さんの人望を表していた。
こうして私は行きつけのカードショップを失った。親交のある方々と、今後について話し合って、定期的に交流会と銘打って、公共施設などを利用して定期的に集まるように約束をした。
私にとってこの一年半という期間は非常に大きな意味を持ち、価値のある期間であったことは紛れもない事実だ。お店の名前は誰がどんな意味でつけたか分からないが、たとえ造語であっても、意訳が飛躍しすぎていたとしても私の中では
Orb less Orb(もっとも価値のある宝物)
だろう。
~回顧その6、それから~
つい先日同僚に勤続一周年を口頭で祝って頂いた。もう一年経つのかと感慨に浸りながら、私が一年勤めたと言うことは、お店が閉店してから一年になるということだ。
他人と紙でmtgをする機会は極端に減ったが、それでも定期的に開催される交流会や、車で小一時間ほど走って今現在の最寄りのカードショップに行くことを楽しみにして毎日を過ごしている。しかし驚くべき事はそれだけではない。
①モダンのデッキが増える。
レガシー用に作ったデス&タックスをモダンでもパーツを流用して入れ替えられるようにした。最寄りのカードショップでの戦績はこれが一番良い。さらに禁止改訂を食らってしまったため解体したが赤単リビングエンド、そして現在は緑信心(起源の波が入っているため、緑単デュアルオーロラウェーブと名付けている)と、実に3種類(解体したため今は2種)のデッキに手をつけた。流石にスタンダードは追えない分、モダンへ力を注いできている。
②mtgアリーナを始める
スタンダードを追えなくなった分、オンラインゲーム、しかも無課金でも遊べるmtgアリーナを始めた。最近のスタンダードはカードパワーが強くて、プロフェシー、アモンケット勢の私としては驚くばかりだ。紙で揃えようとするととんでもない額になるので、恐らく私の賃金が増えない限り、紙では出来ないだろう。
未だに私のカードゲーム熱は衰えず、むしろ高くなっているとすら感じる。たまに近くのリサイクルショップでパックを買いあさり、部屋に不要なストレージが溜まってきたことが最近の悩みだ。
私の休みは不定休シフト勤務のため、交流会へは行ける日と行けない日とあるが、それでも行ったときに楽しく迎え入れてくれるみなさんには感謝の一言だ。勿論、運営に携わっている方々へも。
来年(正確には再来年)は恐らく仕事の資格試験を受けて給料が大幅に上がるチャンスでもある。本気で取りかかるつもりだ。私の貯蓄のためにも。
私がここまででmtgに費やしてきた費用は恐らく200万じゃ利かなくなってきただろう。私の預金残高がそれを証明している。しかし、後悔はない。こんなにも多くの、かけがえのないものとなったのだから。
~本題に戻ろう~
書いていたら楽しくなって、回顧で全てが終わろうとしていたが本題は違う。もう一度本題を思い起こすと、
【私はTCGプレイヤーとして成長したのか】
という問いかけだったはずだ。この回顧から何も得られていないことは重々承知しているが、私はひじき3本重ねた位は成長できたのかなと思っている。
もちろん、メタを知ったから、カードの意味を逐一確認しなくなったから、といった、カードゲームをやっていけばある程度自動で学習されていくものではなく、プレイヤースキルとして、ひじき3本重ねた分くらいは成長した気がする。
ひじき一本目:初対面の人とでも失礼なく出来るようになった。
これはお店や最寄りのカードショップで初見の人と対戦経験を積んできたからだろう。誰しもが最初は初対面だし、初めての対戦になる。見た目が決して良くない私にとって、相手に失礼なくすることは必要最低限のマナーだと思っている。むしろ二回目、三回目と回数を重ねるごとに悪くなっている事があるので、そこは気をつけなくてはならない。相手のプライベートなラインに自分は入り込めているのかは分からないからだ。戒めの意味も込めて私は以前のマナー関連の日記を書いている。
ひじき二本目:プレイスピードが上がった。
やってるだけで速くなるわけではない。それはこの二年半で大いに分かったことだ。考えながらプレイしていかないとプレイスピードが上がることはない。思考停止してでも勝てるブン回りが毎回来るわけではないのだ。これはmtgに限った話だが、競技としてmtgを行う場合でも進行に影響なくプレイできるくらいには、プレイスピードが上がった。魔改造シスターズだけは誘発の発生が多すぎて遅延行為を食らいそうではある。
ひじき三本目:読みが、ほんのごくわずかだが出来るようになった。
相手のプレイングを見て、相手の手札がなんなのか予測して動く。デス&タックスを一年半使いながら、これが出来ないと1本も勝つことが出来ないと毎回毎回泣きを見ながら対戦経験を積んでいった。多くの当たり外れを経験してきた。そのお陰か、最寄りのカードショップでのレガシー戦績は勝ち越しを記録しているし、レンと六番禁止前のRUGデルバー相手に勝利を収める事も出来た。少しずつではあるが、自信に繋がっている。
デス&タックス以外でも、相手の動きを見て予測してこちらが動く、という挙動は相手にとってプレッシャーであるはずだ。今後は他のデッキでも同じように読み、というものが少しずつ出来るようになっていかねばならない。
今後も課題は山積みである。ガバガバなプレイやケアを怠ることは多々あるし、ボードコンの握りすぎでコンバットスキルはまるで成長していない。そして自分で言うのも難だが、引きは弱くはない、むしろ強い方だ。トップで万事解決なんて事も他の人より多少は経験しているだろうし、それこそ私が休みの時不定期に行う我が家杯(モダンデッキ4種による総当たり戦を1人で行う謎企画。一人回しの延長線ではあるのだが、ルールとして、互いの手札は呪文や能力の対象になって、公開されたものしか見れていない、という呈でプレイングを進めていく。自分の思考回路を自分で反芻することになる。辛い)ではそのトップ解決力で互いに捲り合う試合が結構発生する。
要するに、まだまだ未熟者なのだ。天井が見えないからこそ、私のカードゲーム熱は治まらないのであろう。
コメント
途中で店をたたむということはフルちんさんをはじめ店を愛し支えてくれた皆様に大変申し訳ないと思っております。申し訳ありません。
現職の仕事で店があった場所を通る時はいまだに寂しいものを感じます。
フルちんさんを始め沢山の方々に出逢うことができた、そういう場を作ることができたことはやってよかったと思い、また維持できなかったことは何度も言いますが申し訳ないと思っております。
フルちんさんの様に想って頂ける方がいることを誇りに、私は頑張って行けると思います。
ありがとうございました。
私も自身の事を初心者だとは思っていませんが、では何なんだと思った時に
「あぁ、未熟者なんだな。」とすっと腑に落とす事が出来ました。
最近の私は、自分を育ててくれた宝に報いる事が出来ているのかと
問われれば、それは甚だ疑問で有り赤面するほか有りません。
フルちんさんは、フルちんさんを育んだ環境を、今フルちんさんが育み
慈しむこと、それが自身をorbたり続けさせる糧になるのでは無いでしょうか。
どうかこれからも素敵な出会いが、そしてトップデッキが常に
フルちんさんにございますよう祈念しております。
お久しぶりです。ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです。
改めてですが、素敵な場所を、かけがえのない時間を提供して頂いたことに感謝しかありません。ありがとうございます。
またお会いしましたら、その時は色々なお話お聞かせ下さい、そして一プレイヤー同士として、楽しくマジックしましょう!
初めまして、私自身のために書いた文章なので、人に何かを考えて頂く事になるとは思ってもいなかったのですが、こんな長文を読んで頂いて、ありがとうございます。
事務局長様にも、これから素敵なことがあることをお祈りしております。